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3月に続いて4月5日~9日の間、再び行ってきましたダイビング遠征に。
今回の海龍亭一行の目的地は西パプア州のビアク島、実は第2次世界大戦時の激戦地のひとつです。小遠征ということで3日間9本のダイビングでしたが、前回のBangka島に負けず劣らずすごく良かったです。ほとんど人の手のはいっていないポイントでのダイビングを堪能しました。今回のメンバーは海龍師匠、Jenny Bigママ、ヒ飛雄馬AI候補生、カルピコUダイブマスター、Yoshi Kダイブマスター候補生、Y女史、フレイバーキタさん、イイトモ爺さん、そしてボクちゃんの総勢9人。今回はインストラクター2人、DM3人に加えて全員が数十本以上のダイブ経験があるという豪華メンバーです。
4月6日(金曜日) (海龍のつぶやき - ビアック遠征 初日 参照)
6日金曜日がイースターの祝日に当たるので、海龍亭一行は5日木曜日の深夜10時のフライトでBiak島へ出発。当日夜7時からの会議を終えた(抜け出した?)Y女史の無事に合流。珍しく予定通りに出発したガルーダに乗った一行はマッカーサルを経由し、これまた予定通り朝の6時にBiak島に到着 (Biak島とジャカルタは2時間の時差があります) するとなんと大雨、空港は海の目の前にあるんだけど海もすごく荒れている。
1本目はいきなり今回のメインイベントのひとつ「飛行艇」ポイントに(Catalinaポイント)。ここはホテルから10分位の近場にある。深度25-30m付近に第2次世界大戦中の「飛行艇」がほぼ原型をとどめて沈んでいる。魚やサメと違ってポイントさえ間違えなければ、飛行艇は逃げないからねー。出来るだけ飛行艇で長くいるためにボクちゃんは浅場を移動。すると、遠くのほうにぼやーっと何かが見えてくる。近づくにつれてだんだん影がはっきりしてくる わくわく、ドキドキ で、でかい。全長はImaiスケールを使わなくても50m位あるでしょう。興奮のあまり、主翼の上、操縦席付近などで写真を撮りまくりました。
1本目のポイントはBiakからすぐだったので、海龍亭一行は一旦Biakに戻り昼食(船酔いでダウン気味だったボクちゃんにとってはよかったです)。実はあまりにダイブボートが小さく予備のタンクを置く場所がないのでどうするのだろうと思っていたら秘密兵器登場(写真)。 まさに地元の漁船ですが これに予備のタンクを積んで出発。
2本目、3本目は大・小Rurbas島 Owi島 西側に。
(編集者註: 筆者は 当時興奮しすぎていていたのか 記憶に誤りがあるのか、はたまた この原稿を 出張中の飛行機移動中の機内で書いている為 もうろうとしているのか 記載に誤りが多々あります。 以下その都度 訂正しておきます)
あまり魚影は濃くなく、大物も見えませんでしたが、2,3本目のポイントは珊瑚がすごい!海龍師匠をして「珊瑚の万博・展覧会・博物館」といわしめたほどです。
4月7日(土曜日) (海龍のつぶやき- ビアック遠征 2日目 参照)
当日はBiakからはかなり離れたポイントを攻めるために海龍亭一行は車で30分くらい移動し、そこからさらに船で一時間くらいのポイントに到達。
1本目は Mioswarek島のポイント Barracuda Point に。 昨日とは打って変わって大物が登場。深度25-30mに「イソマグロ」、「ホワイトチップ」、「ブラックチップ」、「シルバーチップ」などが登場。カレントはそれほど強くなかったんだけど、バラクーダの群れまで見ました (コトック島のはぐれバラクーダとは違うのだ)。
1本目終了後のランチはマンシュール島(?)で。 ここの砂浜は今まで自分の一生のうちに見た砂浜で一番きれいではないかなぁ・・・ 砂の粒が非常に細かく、それに薄いピンクの珊瑚が混ざっている。 人も住んでなく、近くには漁船の陰すら見えない。
あぁ~、これぞ本当の楽園だぁ・・・!
2本目 (Mioswarek島のポイント) でもサメをみたけど、ハイライトは 「タコ」 捕り。 安全停止中に岩の中でY女史がたこを発見 (どうやってみつけたんだろう?) ここで師匠を中心にツンツン棒を駆使してたこを引っ張り出しにかかる。 思いっきり抵抗するタコは墨を吐く(写真)。 結局、捕獲されたたこは夜ご飯に「酢だこ」 になりましたとさ。
3本目は、ボートを足が立つくらい場所に止めてケーブポイントでのダイビング。 ケーブの底はどれだけあるかわかならいそうだけど、曇りにもかかわらず上からの光がきれいに入ってくる。 ケーブ付近では2匹の大きなアジに遭遇。 ケーブを出てからの透明度は素晴らしく、知らないうちに(!)結構深くいっていました。 注意、注意。 この日は水温が低かった(でもダイコンは29度を指していたのだけど)上にひどい頭痛で楽しみ10%減でした。 体調管理がダイビングの重要なポイントです。
4月8日(日曜日) (海龍のつぶやき- ビアック遠征 3日目 参照)
Yoshi Kさんと飛雄馬AI候補生は残念ながら8日の便でジャカルタに戻るため3日のダイビングは参加できず。 残りの海龍亭一行はまたまた別のポイントに出発! (ちょうど ボクちゃん達がダイビングを終えて 港に戻ってくる時に 頭上を 彼らを乗せた飛行機が離陸していきました)
1本目はAuki島 Owi島 西側のポイントに。 ここは潜降してすぐのところになだらかなウォールが観覧席のほうに広がっている。潜行するとすぐに一同、タンクを叩いたりして大騒ぎに。サメが深度30m近辺にいるではないか。しかも一匹ではない。3-4匹のサメが入れ替わり立ち代り旋回している(写真)。 なかなかこんな光景はお目にかかれない。 一同デコがでないかとダイコンと睨めっこしながらしばらくの間サメを見続ける。
あれ? ボクちゃんのバディのY女史はサメには目もくれず、観覧席の岩の中に手を突っ込んでいる。 トラブル発生? が、しばらくすると手には一匹のロブスターが。 「花より団子」、「サメよりロブスター」だったんだ… 前日のタコといい今回のロブスターといい今回のY女史は食料調達担当でした。 (台所占領 参照)
そして2本目は東Owi島の 小Rubus島のポイントに。 だったんだけど、ここまで来るとサメとかマグロとかはだんだん見慣れてくる。 贅沢な話だけどネ・・・
3本目は 西Owi島 大Rubus島に。大物はあまり見られなかったけど珍しい種類のウミウシが沢山見られました(写真)。
こうして3日間9本の濃密なダイビングは幕を閉じたのでした。イヤー今回も満足、満足。 唯一の心残りはここで200本記念ダイブを出来なかったことくらいです。
<おまけ編>
今 回の遠征で間違いなく一番使われた単語でしょう。 日本語の「くわばら、くわばら」でなく、インドネシア語で「頭」を意味します。 今回はダイブボートが相当 小さく屋根までの高さも低かったのに頭をぶつけるメンバーが続出。 移動するときは、本人のみならず、周りの人間も「クパラ・クパラ」と念仏のように唱えて いました。
OWのときにBCDの水面装着の練習はするんだけど実際にやることはほとんどない(Yoshi Kさんの娘さんとかボートからのバックロールエントリーが嫌いな場合は特殊なケースだけど)。
今回はボートが小さく(器材を置くスペースにも事欠きました)、ボート上ではBCDを着れないので全員が3点セットでエントリーして水面でBCDを着ることに。 最初は難儀していたメンバーも (ボクちゃんもここだけの話あまり得意じゃありません)、 最後の方はぜんぜん問題なくできるようになりました(写真)。
Biak島のホテルは海の目の前にあるんだけど魚料理がほとんど出なかった。 これではいかんと8日の夜は師匠、Jenny Bigママ、Y女史とボクちゃんは、師匠たちが見つけてきた地元のフィッシュマーケットに出撃。
そこには、釣り上げられたばかりの新鮮な、「マグロ」、「カツオ」、「サヨリ」などが沢山ある。 カツオなどは一匹100円と信じられないくらいの値段(写真)。
ボクちゃんたちは、小型のマグロ (何マグロだろう?) 250円、カツオ100円、アジ一山50円を買い込み、いざホテルに戻る。
(編集者註: 市場にあったマグロはビンナガとキハダの2種類。 立派なものは 業者に買い付けられているのか、ここにあったのは 80cm程度のものと60cm程度の小さいもの。 80cm程度のものは 700円位なのに 60cm位のは 250円程度と割安でした。 同じお値段だったので迷いましたが 結局 ビンナガを購入しました)
そこで従業員用のキッチンを占拠し、Y女史総料理長のもと、Jenny Bigママとボクちゃんが副料理長として料理開始!(といってもY女史しか魚を三枚のおろせないので、Jenny Bigママとボクちゃんは焼き係兼皿洗い係でしたけどね)。 キッチン占領は A 厨房長亡きあとも、 SeaDagon 遠征時の日常手段と化しています。 さて出来上がったのは、マグロの角切りステーキ、カツオのたたき、アジの焼き物 パチパチ~! 一転して豪華な夕食になりました。 ちなみに、ロブスターは翌日の朝食のラーメンの中に入りました。
Biak島市内観光:
最終日9日のジャカルタに戻る飛行機は午後5時出発だったので、海龍亭一行はBiak島観光に。 最初にも書いたけどここは第2次大戦時の激戦地だったので日本軍が立てこもった洞窟(鍾乳洞?)が残っているし、当時の飛行機の残骸、不発弾なども展示されている(写真)。
そのほかにも、タマン・アングレックでパプアの珍しい鳥(ダチョウの仲間とかインコ)をみたり、ダイビングなしでも楽しい一日でした。
★★★ コメント の コーナー ★★★
雲の上の天上人であった あこがれのダイブマスター。 ナベさん、カオリさん、山一番さんなど諸先輩方の修行を横目で見ていたこのボクも 修行験者の仲間入りです。 SeaDragonにてナベさんから フミカ君に引き継がれていた「ダイブマスター挑戦記」をボク Yoichiro が 「修行奮闘記」としてしっかりと引継ぎます!
ボクもダイブマスターになるのだぁ!
ご支援 ・ご指導 のほどよろしく お願いいたします。
2006/03/12 Yoichiro
at ジャカルタ・インドネシア
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Author:Yoichiro
現在 某国際機関のジャカルタ 支部勤務の Economist (経済学博士)。通説のように「似非」経済評論家ではない。経歴からは想像できない守備範囲を誇る自称スーパー・ゼネラリスト。
SeaDragonにてナベとカオリの DM・AI コンビの修行中に面倒をみてもらい、Yama No.1 DM の修行を横目に見ながらひたすら 本数を稼ぎ、30歳台最後の年についにダイブマスターにチャレンジを決意。